うそつきのパラドックスとは?
「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った。
これがもし”正しい”ならば、クレタ人は本当のことを言っているので、「クレタ人は嘘つきである」という発言と矛盾する。
逆に”うそ”であるとしても、同様の矛盾が起きる。
このパラドックスをひとつのきっかけとして、かの有名なゲーデルの不完全性定理が証明された。
誤解を恐れず、簡潔に言うと
「俺は正しい」ということを「俺は証明できない」
ということである。
数学は正しいということを数学の体系のみで証明できないのである。
矛盾を含まない公理(最小の構成要素)のみで構成された理想的な世界でも、必ずわからないことが存在するということで、これを知ったときは かなりショック を受けた。
数学というと、ある内容について、「正しい」「間違っている」を完膚なきまでに証明できると思っていたが、それは傲慢な考えだと言う事が示されたのである。
ちなみに、矛盾を含むブロックで論理を構成すると、
「俺は正しい」ということを「俺は証明できる」
という逆の内容が示される。
世の中って不思議ですね~
<インスパイア文献>
・不完全性定理
堅苦しい見た目の割には、とても読みやすかったです。ただし「読みやすい=誤解を招きやすい」なので、私のように、これだけを読んで全てわかった気になるのは危険です。
・クビシメロマンチスト
戯言を書きたくなったので。
さいごに・・・
「クレタ人は嘘つきである」とギリシア人が言った。
という文章には特におかしなところはない。
自己言及には限界があるが、他者から言及される分には問題は無い。
つまり自分自身の性質を完全に形成するには、他人の存在が必須ということか。
ま、ウソだけどね。
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